愛知県知多郡半田市岩滑西町。
ここはごんぎつねの故郷。若くして逝った新美南吉の故郷である。
シルバーウイークと銘打った秋の連休に、ごんぎつねの舞台となった岩滑西町(やなめにしまち)の矢勝川(やかちがわ)に彼岸花を求めて訪れた。二年越しの夢であった。
3日前の新聞に、市民が植えた100万本とも200万本ともいわれる彼岸花が、いま、矢勝川で真っ盛りだと報道された。
新聞の報道では、今が見頃だと紹介されることが多いが、翌日訪れたところで、大抵はピークは下り坂に差し掛かっている。したがって、報道の3日後に訪ねるのだから、見頃は期待はずれであっても、落胆はすまいと、心に予防線を張って出かけた。
始めて訪れる地とあって、ネットで調べてきた地図や情報メモを片手に、折よく、目的地に近い駐車場を確保。車から降りて100歩も進むと、そこに赤と白の、そして一面ボタン色のまつばぼたんの群生が出迎えてくれた。これも市民の丹精の賜だろうとしばし立ち止り写真に収める。
そして、まつばぼたんの群生を横切って、矢勝川の土手に向かっていくと、その一帯は、もう盛りを過ぎた、少し灰をかぶったような色の彼岸花が、累々と続いていて、ああ予想どうりだなと思いながら、北側の、いま見頃だという彼岸花を求めて人の後に付き、また行き違って土手を進んでいった。
スカッと晴れた秋空の下、日差しは結構きつい。少し歩を速めつつ、途切れずに咲いている彼岸花を見やりながら、そのうち赤々と蒼天に燃え上がるように、今を盛りと命を燃やす彼岸花の群生に行き着いた。
そのあたりに来て、やっと歩をゆるめ、遠路はるばる車を走らせてきた甲斐があったとその光景に喜びながら、多分、来年も、その先も見に来ることは出来ないだろうという思いで、彼岸花の見事な群生を、脳裏に、そしてカメラに、焼きつけたのである。
ところで彼岸花の見事な群生のことに触れながら、ここまで「美しい」という形容詞は少しも使っていない。
それはなぜか。実は、彼岸花は大人になってから見ることを好むようになった花である。その彼岸花には、幼年のころからどこかしら感じる妖気と、爽快感のないあの赤色が、潜在的な恐くて悲しい感覚を醸し出してきて、見たいけれど見てはならない花のような気に未だにさせる。それ故に、彼岸花を無条件で美しいと見ることが出来ないのである。
では彼岸花のどこに惹かれるのか。それは、刈入れを終えたころの田園と、遠くに見える、そう高くない山々の、まだ枯れ色には至っていないけれど、少しくすみがかった景観の中に、燃えるような彼岸花の赤とのコントラストが、しみじみと秋を感じさせてくれる、そんなところが大変好きなのである。
その彼岸花を配した風景を、私はとても美しいと思っている。
故に、100万本を配した風景とはどんなに素晴らしいものか、一度見てみたかったのである。
この後、大好きな童話「ごんぎつね」を書いた新美南吉の生家を訪ねた。